当社では、誰もが活躍できる社会の実現を目指し、2019年から日本パラ陸上連盟のオフィシャルパートナーとしてパラスポーツへの理解を深める活動を行っています。社員が日本パラ陸上選手権大会の応援に行ったり、家族が世界パラ陸上選手権に通訳ボランティアで運営に参加したり、パラアスリートによる社内講演会やパラスポーツの体験会などを開催しています。
講演会は、2022年に澤田優蘭さん(視覚障がい)とガイドの塩川竜平さん、2023年に花岡伸和さん(車いす)に続き、2024年11月に3回目を開催し、「人間の可能性は無限大~他人に真似できないキャリア形成を~」のタイトルで鈴木徹さん(義足)からお話を伺いました。
【講師】
鈴木 徹さん
1980年5月4日生まれ(44歳)
シドニー~東京まで、パラリンピック6大会連続出場
走高跳(T64クラス) 2m02=アジア、日本記録保持者
現在の主な役職 日本パラ陸上競技連盟 理事
日本代表 跳躍コーチ
山梨県障害者スポーツ協会 理事
山梨市教育委員 山梨市観光大使
- 拡大
- 撮影 日本パラ陸上競技連盟
大学入学直前に、自らが運転する自動車事故で右足をひざ下から切断。それまでやってきたハンドボールは断念せざるを得なかったものの、リハビリを行う中で、陸上競技に出会ったそうです。通常、義足で走れるようになる迄に2、3年はかかるところを、わずか1年で走れるように快復しましたが、スピードは100m20秒。トラック競技は勝負にならないと考え、走高跳を目指すことに。
小学生時代に吃音を笑われたり、いじめられた経験から、得意だったスポーツの選手は「なりたい」ものではなく「ならなければいけない!」ものだったとのことで、怪我をした後も「この強い気持ちは揺るがなかった」そうです。
デビュー戦で1m81を跳び日本記録を更新。そして3か月後にパラリンピック出場(2000年シドニー)!


大学卒業にあたっては就職活動をせずにスポンサーを探し、プロアスリートとなりました。それからはスランプ、スポンサー離れ、引退等に対する不安と葛藤、孤独の戦いの始まりだったそうです。
現在はトップレベルでのパラ陸上の選手は退きましたが、競技者としてはマスターズ陸上に出場し、後輩のパラ陸上の選手の専属コーチを行っています。陸上競技に関することだけではなく、地元との繋がりを含めて多くの役回りを担っていることが、それぞれに相乗効果をもたらしていると実感されているとのこと。
自らのキャリアを考える中で、「1つの山が無くなってもまだ7つある」と考え方が変化したそうで、同時並行で複数のことを行うことが大切だと考えています。複数の役割を掛け合わせると、他者の追随できない1番になることも可能。ゲーム、カード等で皆に人気の「レアキャラ」。自らがレアキャラになれると。
更には「会社員は組織の一員であることは当然だけれど、個人の力を上げることは、組織への貢献にも繋がる」と。

「多くの選手を見てきて、同じメニューを繰り返し記録が伸びず、消えていった選手がたくさんいました。同じことをやっていくと体が慣れてきて楽になります。仕事も同じことをやっていると、結果が出なくなるのではないでしょうか。スポーツだけでなく、いろいろな世界で言えることだと思います。」
皆さん、何か感じませんか?
- 人から頼まれたことは極力断らない(期待されて、選ばれた証し。チャンスを自ら捨てない)
- 簡単なことより難しいことを選択する(自分の財産になる)
- やってきたことは必ず未来につながっていると思う(種まきと寄り道の大事さ)
あっという間の1時間30分でした。
「後輩への指導において心掛けていることは」との質問に対し、「最初に、好き嫌いを外すこと。教えるのではなく、指し示すこと。」とお答えいただきました。

交通事故による人生の転機を淡々と受け入れ、それからの競技人生を自らのキャリア形成の1つと位置づけた数々のお話。
講演会に参加した社員にとって、いろいろなことを考える貴重な考える時間となりました。
当社はこれからも、あらゆる人たちが活躍できる多様な社会・職場づくりの支援に精力的に取り組んでいきたいと考えています。

